圓光寺の沿革
文明3年(1471年)教信が蓮如上人と出遇いを機に、現在の滋賀県野洲市八夫に圓光寺を建立いたしました。
慶長7年(1602年)東西本願寺が分派を機に、洛陽五条(現在の御幸町松原下ル)に移転しました。
元治元年7月(1864年)幕末の蛤御門の変で焼失し、東西両本願寺の間にあたる東中筋正面下ルに再建されました。
その後、高度成長期の昭和45年(1970年)郊外の静かな住宅地である左京区北白川の地に移転し現在に至ります。
慶長7年(1602年)東西本願寺が分派を機に、洛陽五条(現在の御幸町松原下ル)に移転しました。
元治元年7月(1864年)幕末の蛤御門の変で焼失し、東西両本願寺の間にあたる東中筋正面下ルに再建されました。
その後、高度成長期の昭和45年(1970年)郊外の静かな住宅地である左京区北白川の地に移転し現在に至ります。